夜明けと同時に、私と彼女は船を出た。用心のために、一緒に船に残っていたサンゴさんも一緒だ。この船にたどり着いた時よりは回復している様子だったが、まだ足取りは覚束ない。彼女が言うに、一緒にいるだけで移る病気ではないそうだから、大丈夫だとは思うけど、病気というのは怖いもの。

 彼女が命からがら抜けてきた道を辿る。フェンスの小さな穴は、こじ開けられていて、ローさんたちがやったのだとすぐに分かった。森を抜け、穴を抜け、刺々しい草を払いながら裏手に出る。

「……ひっでえな」

サンゴさんの正直なつぶやきに、私は声もなく同意する。崩れかかった建物、道に倒れる人の山。腐臭が漂い、誰が生きていて、誰が死んでいるのか分からない。唯一、屍の間を軽い足取りで歩き回っているのは、ハートの一員だった。

 一歩、踏み出すたびに少しずつ息が詰まってゆく。夜は明けたというのに、清々しい朝はここにはない。慣れた足取りで進んでゆく女性の後ろをついて進む。物珍しそうな子供の視線が痛ましい。私の方をじっと見ているのに、老婆の瞳は曇り切って、光は映らない。

「ここが私の住んでいる場所です」

家、と呼ぶのにも値しない。レンガの壁に、風で吹き飛びそうな薄い屋根がわりの板。中から出てきたのは、ローさんだった。

「あ、」
「処置はした」
「っ……ありがとうございます。本当に、なんとお礼を言えばいいか、」
「持って3ヶ月。短かけりゃ、明日にでも」
「十分です、お礼の言葉しかお返しできないご無礼をお許しください」

ローさんは、目を合わさずに、私たちの横を抜けてゆく。彼女の住まいの中には、老婆に抱かれた小さな男の子。「ママぁ!」と力なく笑った少年の姿を見て、この女性が命をかけた理由を理解した。

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 太陽が真上近くに上る時間。私たちは、見つかる前にと、半ば追われる形で、船へと帰った。

「お隣よろしいですか」
「……名前か」

砂浜で、水平線を眺める彼の憂い顔。
できることはやったと言っていたが、それでもあの環境では限りがある。目の前で亡くなった人もいたと言う。そうして、一人ずつ潰える命を、見送るためだけの場所だ。

「お腹空いてませんか、お昼作ったんですけど」
「ああ」

ああ、と言って動く気配もない。気分じゃないというのも分かる。しかし、腹が減っては戦はできぬと言うではないか。私は、みんなの体を守る役目がある。

「あの人たちは、みんな死んでしまうんですか」

血も涙もない話。私たち、二十数人で救える地獄ではなかった。

「そうだろうな」

彼が、自嘲気味に笑う。彼の中には大事なことがたくさんあって、そうじゃないものは、何でもかんでも割り切ってしまう人。彼が捨てたものを拾って、ありあまる心の部屋にしまっておくのは、私の仕事。勝手に決めた。

「俺は、救えなかった命の方が多い」

振り返って、彼が私の髪に手を伸ばす。ゆっくりと滑るように撫でながら、彼は、「お前と違って」と言った。

「嫌味ですか」
「ちげえよ」

笑いながら、しかし、痛みだけは忘れぬまま。

「私は、彼しか救わなかっただけです」

頭に思い浮かぶのは、眩しい太陽と傷跡の残った彼の誇りと、私に向けられた優しい言葉。

「私は、彼以外、誰も救おうとはしなかったから」

だから、私はローさんと並べて語る資格もない。力がないから、救えるものは1つしかなかった。いろんなことを見て見ぬ振りして、一生懸命走って、何も見えないふりをした。

「ローさんのおかげで救われた人もたくさんいます」

忘れてほしくはない。彼が捨ててしまったものは、私が大事に仕舞っておくから。

「ローさんのおかげで、私は幸せですよ」

彼がそうかと言った。分かりづらいけど、気持ちはちゃんと伝わったみたいだ。

「キャープテーン」
「出航準備できましたァ!」

ベポさんと、イッカクさんが、甲板から手を振る。今日も無敵の可愛さ。

「きっと、みんなも」

救えたもの、掬いきれなかったもの。
生きているから、いろんなことがある。

「二人の過ちには名前がある」〆
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