▽Law
マスクを払い、甲板に出て、息を吐いた。丸い一日、手術室に籠もりきり。いつの間にか、もう一度、夜が来ている。バサリと音を立てて、甲板に降り立ったのは青い鳥。いや、死を知らない幻獣種。白ひげ海賊団・1番隊隊長、マルコだ。
「容態は」
「さあな、やれるだけのことはした」
予断は、依然として許さない。マルコは思ったよりも冷静なようで、そうかと海を見た。同じ医者として、現状についてはわかっているのだろう。いつ死ぬかもしれない。寧ろ、生きているのが不思議なくらい。
「こいつは、お前に渡しておくよい」
マルコが手渡したのは、血に塗れたビブルカード。
「名前が最期に渡してきた」と、マルコは言い残し、その美しい羽を、明かりのない夜に広げる。今日は、月も見えない。彼女がいないから。そんなわけねぇか。
・
・
無機質な音、無機質な壁。ひどく、感情がない。もっと言えば、感覚も遠くにある。
血まみれで運ばれてきた彼女を見て、血の気が失せるのを感じた。ペボが大きな声で、彼女の名前を呼ぶ。ペンギンやシャチを含め、彼女を知っているクルーは皆、言葉を失い、しばしそこに立ち尽くしていた。嫌な予感。当たらなくていいときに限って、ピタリと的中してしまうのだから厄介だ。
そこから、重体患者が3人一斉に運び込まれ、ポーラータングは一時カオス状態になった。医療の心得のないクルーも右へ左へ、慌てて走り回り、どうにか窮地を切り抜ける。聞いた情報と、目の前の状態。一度聞いた彼女の能力、この場で状況を理解できているのは、己一人。
機械の音だけが響く病室では、彼女の息の音すら聞こえない。腹の穴が塞がったのは、彼女の特殊な能力のせいか。理解の範疇など、遠に超えている。名前の目が覚めたら、問い詰めなければ気が済まない。何がどうなって、こんな面倒な事態になっているのか、と。こんな形で帰ることなど、許せない。ただいま戻りました、と、屈託のない瞳で、言うはずではなかったか。俺は、お前だから、待っていたのに。
恐れなど、遥か昔に失ったはずだった。だがしかし、いま、彼女に触れることを躊躇うこの気持ちを、他のどんな言葉で表せるというのか。ゆっくりと、手を伸ばす。指が、彼女の頬に触れた。滑るようになぞっても、身じろぎひとつしない女は、やはり死んでいるのではないかと、不安になる。熱を感じない。冷たいのは、彼女か、自分の指か。わかる術がない。後者であればいいと思いながら、自分の指に彫った”DEATH”の文字が、ぬらりと闇に浮かび上がる。縁起でもねぇ。好いた女が、他の男のために死ぬなど、死んでも御免だ。