深夜。私にしては珍しく寝付きの悪い夜だった。きっと寝る前に美味しい紅茶を飲んだせいだとか、ベッドが少し硬いからだとか、窓を叩きつけるびゅうびゅうと吹く強い風だとか、まあ理由を付けようと思えば幾らでもあった。しかし、そんなことを考えても、全く眠気がやって来ないことに変わりない。バッグから分厚いパーカーを取り出して肩にかけると、キッチンに向かう。こんな時には、温かいココアを飲むのが良い気がする。
「おや、こんな時間にどうしたのかな」
「いえ、……少しだけ、寝付けなくて」
ふむ、レイリーさんはポットに火をつける私を見て、その顔に深い笑みを湛えた。レイリーさんこそこんな時間まで何を、と有り体を装って質問すると、「私は早寝の苦手な老人でね」と返された。レイリーさんと話していると、いつも優位に立たれているような気がして落ち着かない。だから、ココアを入れたら、カップを持ってすぐに部屋に戻ろうと決めたのに。そんな時に限って、「寝付けないなら、どうだろう……老人の昔話に付き合ってはくれないだろうか」と言われてしまう。まさか断らせようなんて思ってない。レイリーさんの思惑通りな気がするけれど、構いませんよと、上手くなった愛想笑いを貼り付けて、彼の向かい側に腰を下ろした。
「さて、……何を話そうか」
レイリーさんはしばし逡巡し、フゥフゥとココアを冷ます私を見ると、小さく息を殺して笑った。そして、懐かしいな、と一言。なんのことかと訊ねた。
「やはり、……変わらないものもあるもんだ」
「へ?」
まだ湯気の消えないマグカップを両手で包み、私は彼の言葉を待った。
「お嬢さんは、私が愛した女性によく似ている」
それは唐突に、些か突飛な内容だった。レイリーさんについて知っていることと言えば、エマさんと交流のある大きな猫という位。漫画では、どんな風に描かれていたっけ。愛した女性。まさか、そんな言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「レイリーさんにもそんな人がいたんですね」
「ああ、人間、一生に一度は人生を狂わすほどの恋をするものさ」
すごい説得力である。素敵ですね、と在り来りな感想を言う。レイリーさんの顔は優しかったが、決して幸せそうなものではなかった。聞いてもよいものか迷ったが、話し始めたのは彼の方だから、と私の好奇心が勝る。
「……その方とは、どうなったんです?」
「結婚はしなかったが、子どもがいた。……だが、私は、結局のところ、彼女を幸せには出来なかった」
愁い帯びた瞳が、優しく細められた。ひとつ、大きな風が吹き、窓枠が軋む。まだ、眠れそうにもない夜だ。