「で、宝の場所は分かったのか?」
船長さんはポケットに手を突っ込んだまま、私の手元の暗号を覗き込んだ。日はとっくに暮れ、キラキラと星の眩しい夜空の下。ハートの海賊団で働き出して初めて夜ご飯の支度を放棄してしまった。みんな外で食うから構わないと口々に言ってくれたので大丈夫だとは思うが、それでもあれだけたんまりと給金をもらっているとなると胸が痛む。
「この新聞っていうのは、スペルがNEWSで東西南北のこと。だから、逆さまに読んでってことは、N。つまり北になにかあると思います」
私たちは並んでゆっくりと歩き出す。調べてみたところ北には見晴台があって、そこからなら海をよく見下ろせるだろうと。昼間、島のおじさんが教えてくれた。これを話すと、船長さんはニヤリと笑い、「良い見立てだ」と言った。あのトラファルガー・ローに褒められるとは、私もまだまだ捨てたもんじゃあない。喜びに頬を緩ませながら、北へと続く長い道を歩く。夜風が少し涼しい。それでもいい夜だ。
「……何もないですね、」
島の最北端に位置する見晴台。確かに月の映った海は綺麗だが、お宝らしきものはないし見つからない。さては私の推理は間違いだったと言うことか。新聞のところまでは合ってると思うんだけど。まさか当時の新聞を本当に見つけて逆さまに読まなきゃいけないとか?そんな馬鹿な。
「お前の推理は半分正解、半分外れ……ってとこか」
「え?」
船長さんは、顎で見晴台の向こうを指す。目をやれば、低い場所に崩れかけの灯台がぽつんと立っている。
「あれは、」
「この見晴台が整備されたのはここ10年のことだ、あの暗号が記されたのはどう見ても30年以上前。当時は、海を見下ろすのにはあれしかなかったんだろうよ」
「天才」
見晴台から灯台の立つ岬まで下りるには、道無き道と呼ぶにふさわしい草原を進む他なかった。どうせならここもきちんと整備してくれれば良かったのだが、恐らくあの灯台は今はもう使われていないのだろう。虚しく、海の上を弱い光が右へ左へ動くだけである。「わっ」ズゴーンのあとに、ズザザと音を立て草原にすっ転ぶ。自慢じゃないが運動は苦手だ。特にこんな冒険はしたこともないので歩きなれてない。いてて。「ったく」少し先を行っていた船長さんは見るも無残な私に気付くと、引き返し、片手でひょいっと私を起こした。「気をつけろ」黙って、手を引く彼の背中に、ありがとうは、どうしてか言えなかった。
今にも崩れて、千と千〇の〇隠しの序盤のシーンを再現できそうな階段を登り、私たちは灯台の中に入った。柵は凭れれば倒れること請け負いな錆具合。しかし、ここにも宝らしきものは見当たらなかった。「……ないですね」
やっぱり、あれは誰かのほんの思いつきで書いた意味のないものだったのかもしれない。だから、これにはお宝や、綺麗な答えはないのだ。船長さんにわざわざ着いてきてもらって申し訳ないけど、こうして光る海を見れただけでも、まあ思い出として、
「──隠れてキスをする」
しまっておこうか、……って、え?
「つまり、見るべきは海じゃねえってことだ」
船長さんは、私の手を掴むと、そのまま引っ張り、海とは反対側、つまり私たちが今下ってきた崖の方へ。でもこっちには、それこそ、岩と草しかない……はず、なのに。
「これがお宝だとよ」
船長さんは呆れたような、落胆するような、しかし楽しそうな声で。掴んでいた手を離し、私の肩に回した。目の前には崖の下の窪みに隠れた場所に咲く、光る花。潮風に吹かれてゆらゆらと揺れる様が幻想的で、私が今まで目にしたものでいちばん美しい。すごい、と在り来りな台詞しか思い浮かばない私を、船長さんは少し笑った。彼が言うに、これは北の海でもこの辺りの海域にしかない〈花光海〉という種類の花らしい。ここはちょうど見晴台からは死角の位置にあり、窪みにあるため崖の下の真正面まで降りないと気付かない。つまり、この灯台までやってこないと見つけられないという訳だ。
「あの暗号はラヴレターだったんですね」
「なんで、そう思う」
だって、こんな美しい景色を見せたいと思うのは愛する人だからでしょう。友達や家族に見せるなら、わざわざ回りくどい暗号を残す必要はない。ここまで恋人を呼び出して、差出人は本当にお宝──プレゼントを用意していたのかもしれない。素敵じゃないか、憧れる。「もしかしたらプロポーズでもしたのかもしれません」私が思ったことを全部伝えると、くだらないと言わんばかりに彼は笑った。そして黙って、私の肩を引き寄せ、真正面から抱きしめる。突然のことなのに、その動作はひどく緩慢で、それが尚更にドキドキさせる。何を思って彼は私を抱きしめるのか、皆目見当もつかないが、不思議と嫌悪感は湧かなかった。それどころか、落ち着くとすら思っている自分もいる。
……ここに、長くいすぎたのかもしれない。「船長さん、」彼は、きっとこの暗号が本当は金銀財宝の在処を示したものではないと分かっていたはずだ。こんな子供のいたずらのような暗号に、彼が一晩で気づかないはずもない。それでも私に着いてきてくれたのだという事実を、私のために時間をくれたのだという事実を、そしてこの夜の時間を、私はちゃんと覚えておこうと思う。
「今日はありがとうございました」
楽しかった、と言えば彼はそうかと呟く。ゆっくり離れていく彼は、私の肩に手を残し、そのままふたりはまた近づいてゆく。
このまま、流されてはだめなのだ。
「船長さん」
ハッキリと名前を呼べば、彼は目を丸くして、小さく息を飲む。まだ、私たちは若い。迷い道も寄り道もしたっていい。それでも彼が私の額に落とした口づけは、切なくて胸が張り裂けそうになった。