ベッチャッとひどい音を立てて、手元の卵がフライパンの中に落っこちた。頭は真っ白で顔は真っ青でも目玉焼きを作る手は止まらない。水を入れて蓋をする。一瞬忘れかけたことを思い出し顔を上げると、ローはキッチンに1番近いテーブルに座っていた。ぴょこんと跳ねた寝癖が萌えるけど、今はそんなことを考えている場合ではないのだ。でも今逃げてみても、今度ばかりは見逃してくれないだろう。それに彼はもう出て行くのか鬼哭1本がっつりテーブルに立てかけてるの見えるもん。あれでざっくりやられたらバラバラになっちゃうの知ってるもん。怖い
無駄に綺麗に焼けてしまった目玉焼きをよそり、サラダを盛り、パンを焼こうと思ったところで彼のパン嫌いを思い出し、昨晩のあまりのご飯でおにぎりを握った。これまた余りよチキン南蛮入れると美味しいんだよね。私がどうしてそこそこローに詳しいかと言うと、私とよくワンピースの話をしていた前世の友人が無類のロー好きだったのだ。私も指にDEATHって入れようかな♡って言われた時は本当に止めた。彼女は私に感謝すべき。もう会えないけど、元気でいてほしい。よし……っと。
「お待たせしました」
プレートをテーブルに置き、そのままシレッと下がって、見逃してくれないかなと思ったけど、瞬間的に掴まれた腕ですべてを諦めた。「そこ、座れ」「はい」
ローの向かいに座ると、ローは出された目玉焼きに手をつけ、おにぎりを頬張った。わずかに瞠目したあとパクパク食べているから不味くはないのだろう。まあこれまでも飲食関係で働いてきたから、昔より腕は上がったんだけどさ。
「お前、名前は」「……名前です」
「何故俺が海賊だと分かった」(これはデジャヴュ)
「風の噂で名前と顔を、知ってて、……」
本当はあなた未来の七武海ですから知ってて当然です。超人気キャラですと言えないのは実に惜しい。なんで私ワンピースの世界で生きてんだろ。あ、神様のせいか。
「まァいい」
俺はトラファルガー・ロー。海賊だ──あっという間に完食してみせたローは、皿を横にずらし、テーブルに両肘をついた。そのニヤニヤとした独特の笑みに何だか悪寒がする。すごくすごーく嫌な予感がする。ローは私の不安そうな顔を見て、小さく息を吐いた。そしてその後に続く言葉を、私は聞かなければ良かったと後になって後悔することになるのだけど、その時は知る由もない。
「お前、俺の船に乗れ」
──なんでこんなことになってるんだ?
・・
・
ローの意味不明な提案を突っぱね、ドタドタと部屋に戻った私を、またローは追ってこなかった。やけに小さくなってしまった荷物をまとめ、おじいさんに無けなしのお金を払おうとすれば、もうお代はもらったと訳の分からないことを言う。
「連れの兄ちゃん、外で待ってるよ」
混乱する頭はひとつの答えを導いていて、それをあえて見ぬフリをした。私には連れの兄ちゃんはいない。消えたり現れたりする都合の良い神さまに見守られている位なのだ。それなのに、全く、これだから海賊って自分勝手!
バンッ。勢いよくドアを開けると、ちょうど宿の壁に凭れるように、鬼哭を携えたローが立っている。「遅せぇ」待っててと言った覚えはありません。
「……宿のお代を借りたつもりはありませんけど」
「実際金がねェんだろ?」
無いさ。泥棒さんに持っていかれて今やどこにあるかも分からない。だからって、それはこの男とは一切関係がない。だからなんですか、と言えばまた先程と同じセリフを言われる。私のお金が盗まれてしまったことは宿のおじいさんから聞いたらしい。あのおじいさんのセキュリティの甘さは宿だけじゃなくて、お口もかよ。
「海賊になれとは言わねぇ、コックがいなくて困ってんだ」
「どうして私が」
「報酬は出す」
この人が頭が良いことは知っている。私が散々喚いて断ったところで、体のいい屁理屈で丸め込まれてしまうだろう。でもだからこそ、この人が私を選ぶ理由が分からないのだ。船の力になれない女がいたら邪魔でしかないはずなのに。
「悪くねぇ条件だと思うが」
「……それでも断りますと言ったら?」
「──港でお前が貴族狙いの大泥棒とでも吹いて回るか」
口の端っこをニヤリと上げた。私の答えを、ローは確信しているようだった。そんなことをされれば、この島から出ることは叶わなくなり、かと言ってこの島に残ることも出来ない私は針の筵というわけだ。私のような素性のしれない旅人のことを庇ってくれる人はこの島にはいないだろう。
「……わかりました」
女は度胸。どうせ前へ進むのなら、この男の進む海を渡るのもきっと悪くないはずだ。でも、だからって、どうしてこんなことに頭を抱えることになるのは違いない。平凡にゆっくりと、この海を回りたかっただけなのに。
「ついてこい」
長い足ですたすたと歩き出した背中を睨んで、自分も小さくなった荷物を抱え直した。私には彼の後ろを歩く他ない。この島で彼と出会ったのが運の尽き。
「まーた厄介事に巻き込まれおって……」
本当に!役に立たない神様だ!!