親戚の集まりに顔を出した。
これまでは母の仕事だったが、母亡き今、そんなことも言っていられない。兄弟のいない私にとって家族と呼べるのは母と父だけで、親戚と言っても血のつながりを感じることはほとんどない。親戚なんて年賀状で現在を知る程度の関係だった。にも関わらず、両親が不慮の事故で亡くなってからは、その代わりと言わんばかりに親戚からの連絡がすべて私に回ってきて、あれはできるかこれには来れるかと聞いてくる。端的に言えば煩わしい。しかし母が忍耐強く続けてきた関係を、私一人で無碍にするにも忍びない。仕方なく一つ一つに丁寧に断りを入れていたが、一年に一度の祖父母の法事には顔を出さなくてはいけなかった。
「あら、久しぶりね。その後、丈夫にやってる?」
煩わしいのは連絡の頻度だけで、会えばみんな悪い人間ではないことは分かっている。分かっていても面倒だと思う心はどうにもできない。
その日初めて私に話しかけたのは、春枝さんだった。両親の葬式から私を気にかけてくれていた春枝さんは、母の姉に当たる人。母の死後、何かと理由をつけては食べ物を送ってくれていた。引っ越しもしたので今後は不要だと告げると、心なしか寂しそうだった。
少しだけ罪悪感が湧いてくる。私は母によく似ていた。若い頃の写真を見れば、自分ですらそっくりだと思う。だから春枝おばさんは、私の中に母――妹――の面影を見ている。それに気づいて、どこに行っても誰かの代わりでしかない自分がほんの少し嫌になる。そんなことを思ったところで、どうしようもない。
人が集まり、寄せては返す波のように引いてゆく。顔と名前の一致しない遠戚に話しかけられては知った口調で会話を進める。「では私はこれで」とどちらかが引き下がる頃には、相手の顔も話した内容も頭から抜け落ちていた。
集まりも進み、もうこの辺でお暇しても誰にも咎められない時間帯に差し掛かる。仕舞いっぱなしにしていたスマートフォンを取り出せば、尾形さんからショートメッセージが一件。今日の集まりの場所を聞かれている。返事をしようとすると、タイミングよく着信が来て、私は春枝さんに断って廊下に出た。
「もしもし?」
「時間ができた。車だから迎えに行く」
「そんな。悪いですよ」
「もう車に乗ってる。場所は?」
優しいんだか優しくないんだか分からない尾形さんは、いつも通りと言えばいつも通りだ。そうまで言われて断るのも忍びなく、結局店の場所を告げた。あと20分ほどで到着するらしい。私は中に戻り、春枝さんに迎えが来るので帰ると告げた。顔見知りもそう多くない私を、引き止める人はいない。会場からはすんなりと抜けることができた。
「あ、よかった。まだいたのね」
荷物を持って店の出口近くで待っていると、春枝さんが私を追いかけてきた。格好を見るに帰るという訳ではなさそうだ。どうしましたかと聞くと、春枝さんはいつもの柔らかい笑みを引っ込めて、深刻そうに眉を顰める。声のボリュームを下げ、私の耳元で「トウジさん」と父の名を言った。
「……トウジさん、なんだか借金があったんでしょ?」
「え?」
「この前、真っ黒の服を着た人がうちに来たのよ。借金がどうのこうのって言ってたんだけどね。私は知らないって言ったらあっさり帰ったわ」
「それ、……もしかして唇の横に黒子のある人でしたか」
「ええ。そう。その人だったわ。やっぱり知ってる人なの」
宇佐美さんだ。
あんなわかりやすい特徴を持つ人は、そう何人もいるはずがない。娘である私の元へ来るならまだしも、春枝さんのところにまで行くなんて。狙いが分からない。借金は返されたと借用証明書は尾形さんから受け取っている。じゃあ、何故?
「――浮かない顔だな」
助手席から見る尾形さんの横顔は新鮮だった。ソファで横に座っている時とはまた違う。いつもよりさらに大人びえて見えて、初めて見る顔のはずなのにほんの僅かの懐かしさもあった。言葉にできない不思議な感覚。
「親戚のおばさんのところに、宇佐美さんが来たそうです」
車内の空気は外より少し暖かいくらいで、まだ冷たい。私が切り出した話のせいで余計に寒くなったようにも感じた。私は加えて、おばさんに何かした訳ではなかったことや、おばさんが何か言った訳でもないことを話した。宇佐美さんの行動の真意はそれだけじゃ分からない。
「それで、借金の話はなんて言ったんだ」
「……結局勘違いで、ちゃんと解決したと言いました」
「そうか」
車のエアコンがぼうーっと音を立てて息を吐く。カラカラに乾いた車内の空気は、どんどん暖まっていったが、妙に張り詰めていて落ち着かない。
宇佐美時重と名乗った男。鮮烈で忘れられない夜の名前だ。トラウマとも言える。若気の至りでいれてしまったタトゥーのように、意識すると強烈な嫌悪感が蘇る。
「性格が悪い上に執念深い男だ。単なる嫌がらせだろ」
「……お知り合いなんですか」
そうだろうという予感はあった。彼らの話し方や雰囲気から。お世辞にも親そうだとは思わないが、初めて会った時、尾形さんの話を聞いて宇佐美さんがすぐに引き下がった。それは、ある程度の信頼関係がある証拠だ。
「昔の同僚だ」
「尾形さんも、あの会社に?」
尾形さんが、あの闇金融に?
確かに宇佐美さんのような人と知り合いになるのならば、自分もそれに近しい場所にいると考えるのが自然。尾形さんの告白に驚きつつも、どこかで納得している自分がいる。そうか、だから。――だから、尾形さんは宇佐美さんを知っていたし、宇佐美さんも尾形さんが「自分が返す」と言ったのを受け入れた。二人は、互いのことをよく知っていたんだ。
「俺はあんたの借金には関わってねえよ。返したのは本当だがな」
「……別に疑ってないです。尾形さんのこと」
私が点と点がつながったことにいたく納得しているのを、疑って言葉を失っていると思った尾形さんが、私の方へ振り返った。そんなつもりはない。宇佐美さんが直接私のところへ来ないということは、尾形さんが借金を返済してくれたのは本当だということ。でなければ、私はとっくに恐ろしいところへ連れて行かれていたはずだ。それでも宇佐美さんが春枝さんのところへ姿を見せたのは、さっき尾形さんが言うように、単純に嫌がらせなのかもしれないし、他の理由があるかもしれない。それ以上は詮索しても謎のままだ。
「信じます。信じてるから、……あなたの恋人の代わりになるんです」
「知らないことばのなじんだひびき」01