月曜日。当然のように始まった1週間が早くも嫌になりながら、仕事をこなし、帰路に着く。憂鬱な月曜日を楽しく終われるように、仕事帰りに駅前で外食をするのがこの街に越してきてから習慣になっている。
外食と言っても、小さな駅では街中華かイタリアンかファミレスのほぼ3択で、最近はもっぱら街中華にお世話になっていた。こじんまりした店内は居心地がいいし、毎週通ってもお財布にも優しい値段でお腹いっぱい美味しいものが食べられる。週替わりの夜定食。その日は油淋鶏があって、席につくなり、迷わずそれを選んだ。ここは唐揚げも絶品だ。注文は聞いたおばさんは「やっぱり」と笑い、カウンターの向こうでそれを聞いたおじさんが「嬉しいねぇ」と目尻に皺を寄せた。
料理を待つ間、1日の間に溜まったメールをチェックする。両親が昨年亡くなって以来、何かと事務連絡が絶えない。悲しみという大きな湖から、ようやく心が顔を出し、平然と腹が減ったと鳴いている。それだけの日常が、あまりにも幸福なのだと最近ようやく実感していた。親戚から急ぎ連絡をくれというメールに、返事をしようとした。そのとき。ガラガラと店の戸が開く。入ってきたのは真っ黒のスーツに身を包んだ。ガタイのいい男性二人。常連ばかりのこの店には珍しい、初めて見る顔のお客さんだ。
そのうちの1人が、キョロキョロと店内を見回して、すぐに私と目が合う。店内に客は私を除いて、二組しかいない。「いらっしゃい」と声をかけるおばさんを無視して、片方がもう片方に何か耳打ちをする。言われた方は頷いて、早々に店を出て行った。そして残った方の男性は、ツカツカと先の尖った靴を鳴らしながら私の方へと近づいてきて、目の前の空いた椅子を引く。
未だ状況を飲み込めない私のことなんかまるで気づいていないように、男性は私の名前を問うた。
「そうです……けど」
「やっぱり」
「どうして。というか、私にどんなご用件で、」
「君の父親の件で話があるんだけど」
「父の件?」
「そ。でも長くなるカモだし。食べれば?]
彼が恐ろしい顔でにっこり笑ったとき、図ったみたいに熱々の油淋鶏定食が運ばれてくる。何の用件かも知らないが、それを楽しく食べる気はとうに失せていた。気になってしまうからと用件を話すように言っても、目の前の男性は「ここで話すことじゃない」と言う。じゃあなんでここまで追いかけてきたのかと思ったが、それを追求するのも許されない気がして、それ以上の問答を繰り返すのはやめにした。騒いで、この店の雰囲気を壊すわけにもいかない。
「じゃあせめて、あなたが誰かだけでも教えてもらえませんか」
そっと声を抑える。唇の横に特徴的な黒子を持った男性は、また笑いながら懐から名刺を一枚差し出した。――帝国金融 宇佐美時重。
「ただの金貸しだよ」
その日の夕食はひどく味気ないものだった。金貸しだと言った宇佐美さんの名刺は偽物には見えず、それが例え偽物だとして、詐欺にも金融にも大差はない。金貸しを名乗る男が、父の件だと言って私を訪ねてきた。それも家や職場でもなく、私の通う料理屋に。
勘定を済ませた私の表情はどうなっていたのか。おばさんがやけに心配そうな顔で、「大丈夫かい」と聞いてくれた。うんと頷いたか、ちゃんと「大丈夫だよ」と返せたか。定かではないが、巻き込むまいと足早に店を出たのは間違いない。ガラガラと音を立てて店の戸を開く。すぐそこで宇佐美さんは私を待っていた。宵の中に立つ、夜より深い黒を纏う男。
「じゃ行こうか」
「行くってどこに」
「立ち話するわけにも行かないし、車の中で話すよ」
店の前に停められた黒い車。夜のせいか、そういう加工がなされているのか車内は一切見えない。そこに乗り込むのはあまりにも危険な気がして、どうにも足が進まない。彼が金貸しだと言うのも、父の話というのも全部嘘で、実は拉致されるのでは? お金も社会的地位もないが、女というだけでそれなりの危険はついて回るものだ。
そんな私の心の中を見透かして、宇佐美さんは面倒臭そうに息を吐く。
「名字名前。東京都杉並区出身。父親は名字トウジ、母親はサナエ。二人は去年交通事故で死亡。君は港区にあるシランという会社で働いている。今の自宅はここから歩いて5分の8階建てのマンションの3階」
つらつらと彼が私の個人情報を述べる。何もかも知っている。彼はそう言いたいのだ。逃げられない、避けられない、と。
「さ、早くして。君に危害を加えるのが目的じゃない」
私の震える足は逃げ出すのを諦めて、大人しく彼に従うことを選んだ。ここで逃げても、全て彼には知られている。どこまで追ってきて、もっと恐ろしい目に遭うかもしれない。彼の言葉に従うのが最善だ。そう、言い聞かせる。
「月はめぐる、星もめぐる、君だってきっと」01