尾形と名前が網走に戻ると、思いの外すんなりと、旅の仲間はふたりを受け入れた。名前が、道中足を滑らせて療養していたという嘘が効いたのだろう。尾形は兎も角、名前は嘘をつかないと、杉元が無条件に二人を許した。
そして、作戦決行の日。名前は脱出用の船で待機していた。鳴り響く銃声、けたたましい轟音。川からやってきた男の中に、鶴見もいたとキロランケは言った。作戦が無事に進んでいるのかも分からない。
『お前は何も見るな』
別れ別れになる前に、尾形が言ったことを守って、名前は船の中で毛布を頭から被っている。何も見ない。何にも触れない。音だけが響く世界は、恐怖でしかなかった。
やがて慌ただしい音がして、一発二発と、続けざまに澄んだ銃声がした。尾形のものだと、名前は直感で理解する。名前は毛布を取って、高い壁に目を向けた。門から逃げてきた面々の中には、尾形やアシリパ、白石もいる。インカラマッや杉元、谷垣の姿はない。尾形はゆっくりと、静かな口調で、杉元の死を告げた。幼い少女の慟哭が、網走の夜に響く。
「行くぞ」
静かに告げられる、その声に、不思議と恐怖は湧かなかった。抱えられるようにして船に乗せられたアシリパは、絶えず涙を流している。彼女の言うように、名前も杉元が死んだとは思えなかった。彼は道半ばで物事を放り出し、自分だけ死ぬような男ではないだろうと、短い付き合いだが悟っていた。
「大丈夫だよ」
アシリパの頭を撫でる。涙を浮かべて唇を噛み締める痛々しい少女を、名前は可哀想だと思った。
「杉元さんは死んでないんじゃないかな」
名前の言葉に、アシリパは小さく目を見開くと、力強く頷いた。アイヌの新時代を背負う彼女は、やはり強い人間だ。自分よりもずっと。その時、名前#の胸に残った罪悪感は、杉元に向けて銃を撃ったのは尾形だと確信していたからである。でもそれを、誰にも言うつもりはなかった。物言いたげな尾形に向けて、名前はひとつ微笑みを贈る。──『死んでも裏切ったりしない』──その言葉に、嘘はない。例えそれが、誰かの命を犠牲にするものであっても、誰かを傷つけることになっても、名前はその言葉を違える気はなかった。彼と、どこまでも共に在ると決めたから。