『親殺しってのは巣立ちの儀式だぜ』
尾形は、ぼんやりと、自分の先程の言葉を反芻した。巣立ち。自ら温かい居場所と無条件の愛を手放さなくては、人は強くなれない。そうは言っても、尾形にとって、あの家は温かい居場所ではなかったし、あの人がくれたのも、無条件の愛ではなかった。
「尾形さん?」
先程から黙りこくる尾形を心配して、名前は、包帯を巻く手を止めた。この男、あろうことかまたも腕を撃たれて負傷していたのである。流石の名前も怒ったが、その怒りも、大分鎮まったように見える。
「なんだ」
「今日あったこと、聞きました」
罪悪感があるのか、名前は尾形の目を見ることなく、すみませんと口にした。別に謝ることはないと思ったが、尾形はそれを口にしなかった。
「私もあの人のこと、殺そうと思っていたんですよ」
とても自然に名前の口から出た言葉に、尾形は、少なからず動揺した。包帯を巻き終えた名前の手は、自身の膝の上で固く結ばれている。
「親の仇、私が取ってやろうって」
旭川の鶴見邸には刃物もあったし、銃もあった。殺す手段はいくらでもあった。しかし、肝心の機会がなかったと、名前は言う。機会なら、それこそいくらでもありそうなもんだと、尾形は思った。それを否定するように、名前が頭を振る。緩慢な動きだった。
「眠らないんです」
名前が、苦笑いを浮かべたまま、尾形の目を見つめ返す。形の整った瞳に、深い闇を宿している。「あの人、いつも起きていて、私、眠ったところ見たことないんです」
そんなまさかと尾形は思ったが、彼女が嘘をつくはずもないので、何も言えない。眠らない人間などいない。そして眠れば、寝首を掻く機会は、彼女には山のようにあったろう。
「真夜中に部屋にこっそり入っても、一緒の布団で寝ようと言っても、いつも寝なかった。 私が動き出すと、どうした名前って頭を撫でてくれるんです。」
彼女は懐かしそうな顔をしたけれど、それが幸せな記憶だとは、決して言わなかった。
「だから、…私はやあっぱり臆病な人間です」
尾形は、まだ何も言わない。
「あの人は恐ろしい人でした」
彼女がそう語るのを聞いて、結ばれた拳が徐々に赤らんでいくのを、ぼんやりと眺めていた。零れた彼女の髪を、尾形が耳に掛けてやる。名前は薄く笑った。それをひどく不細工だと、尾形は思った。