名前と尾形の作戦は実に単純だった。軍で看護婦として働く名前は、見回りの際に窓を開けておく。尾形が夜を待ってそこから逃げる。人質として、名前を連れていくことも忘れずに。
作戦は一見無謀に見えて、勝算が零だった訳ではない。その主たる理由が、他でもない人質の名前だった。ただの看護婦一人であれば、軍に対して何の牽制にもならない。見つかれば、即刻人質構わず殺されてしまうだろう。しかし、名前は、第七師団鶴見中尉の姪であった。それも九つの時に亡くした両親の代わりに、名前を育ててくれたのは他でもない、鶴見中尉であり、鶴見中尉にとって、名前は娘のような存在である。このことは、第七師団の中では周知の事実。そんな彼女を人質とし、尾形の周りに置けば、容易に発砲は出来ないだろうと、ここまでは名前の希望的観測である。だが、名前には確信めいたものがあった。きっと、自分が死ぬような結末を、あの人が選ぶことは無いだろう、と。死を回避することが、則ち幸せであるとは、必ずしも言えないが。
「尾形さあん、休憩は」
「人質なら黙って歩いてろ」
「普通に連れ出してくれて良かったんです」
「駄目だ」
雪の中に足が沈む。靴の中に靴下を重ねて三枚履いたが、既に全てびしょ濡れになってしまった。先を行く尾形、その後ろをちょこちょことついてくるのが、人質の名前である。
もとより、この作戦を尾形が提案したとき、名前は首を横に振った。自分を人質ではなく、共犯者にしてくれ、と。しかし、それを頑なに認めなかったのは尾形であった。駄目だの一点張り。
「俺の命がかかってる」
尾形はそう説明したが、実際のところは、いざと言う時に名前が鶴見中尉の元に戻れるようにという配慮であることに、彼女は気付いていた。危うくなれば、彼は彼女を切り捨て、向こうに保護してもらえるようにするのだろう。ありがた迷惑だと言おうとした口は、何とか噤んだ。
「軍人さんって何でこうも頑固」
こめかみにぐりぐりと押し付けられた銃口。全く物騒極まりないと名前は笑う。銃口を突きつけられて笑う彼女の滑稽な姿を見て、尾形もまた僅かに口を緩めた。