「俺と行こう」
彼に差し出された手を掴んだ時に、迷いはなかった。彼のキラキラとした瞳と笑顔、あの大きくて優しい手は信用に足るには十分だ。泣き笑いしながら頷いた私を、エースくんは、まるで宝物を閉じ込めるようにそっと抱き締めてくれた。
「……行こう、名前」
こうなることが、もうずっと前から決まっていたような気さえした。あの日、あの海岸で、濁った目をした彼の少年に出会ったあの日から、私が彼と共に海を行くことは必然だったのかもしれない。もう支えきれないほど逞しくなった背中を抱きしめた時、そう思った。
追いかけていた訳じゃない。でも、探していたことも嘘ではなかった。名前の話をしたことがあるのは、たしかサッチとマルコ。親父にはついぞ話す機会はなかったと思う。酔っ払ってる時に自分が何言ったかなんて知ったこっちゃねえ。
だから、何年ぶりかに彼女の姿を見たとき、最初は他人の空似だと思った。あのくらいの背丈で、あんな髪型で、あんな服を着た女はグランドラインにはごまんといる。それでも、目が合った時、俺の姿を見て、あんな風に微笑む女は、名前以外に俺は知らない。一歩踏み出して、はたと止める。──よくよく思えば、ガキの頃より彼女も俺も背が伸びた。彼女は髪も伸びた。着ている服もなんか洒落てる。笑顔だって、昔よりずっと綺麗だ。触れねぇ。──
「エースくん」
それでも、昔と何一つ変わらない優しい声がやっぱり俺の心を離しやしねぇ。
「名前……か」
大きく頷いた彼女に駆け寄って、細っこい腰を抱き寄せた。(ああ、こんなに小さかったなんて、)あの頃の俺は知らなかった。何にも知らなかった。人に優しくすることも、人にありがとうと言うことも、人を好きだと思うことも。何にも知らない俺に、彼女はぜんぶ教えてしまった。あの短い時間の中で。
「力強くなったなあ」
痛いよ、と笑った彼女を離してしまえばまたどこかに行ってしまいそうで、俺は腕の力を緩めることすらできなかった。名前の額が俺の胸に触れて、そこだけがじんじんと熱を持つ。
「名前は、小さくなったか」
「エースくんが大きくなったんだよ」
「……知ってる」
今は、ぜんぶ知ってる。人に優しくすることも、人にありがとうと言うことも、人を好きだと思うことも。俺は誰かを幸せにもできるってこと、俺が生きていることを望む誰かがいることだって、ちゃんと全部知ってるさ。名前が忘れないでほしいと言ったから。
「やっと会えた」
それは、俺と名前、どっちが発した言葉だったろう。今となっては分からない。でもその時愛の代わりに伝えた”会いたかった”はそのあと何度か俺を苦しめた。それでも、結果として、今は同じ船の上で同じ海を眺めている。その事実が尊いものなのだと彼女は繰り返し言った。だから、俺はこの日常が大事なもんだとちゃんと理解しているつもり。
「本当に変わったな、エース」
サッチさんの言葉に、最もだと言わんばかりにマルコさんとハルタさんが頷いた。エースくんは怪訝そうな目でみんなを見ているから、この手のからかいは日常茶飯事なのだろう。ここの皆さんは微笑ましいほど仲が良い。
「末っ子エースが」
「いつの間にか男になっちまってよォ」
「ほんとほんと」
ブフっと思わず笑いを零せば、真っ赤な顔したエースくんが私の髪をぐしゃぐしゃにした。多分そういうところが末っ子的要素を加速させているのだと思うんだけど。まあ可愛いから言ってあげない。大人はタチが悪いのだ。
「エースに名前は勿体ねぇよぃ」
頬を赤らめたマルコさんはいつもより上機嫌に見える。あら、あんな度数の高い酒出したの誰よ。私か。
「ほんとほんと」
「名前ちゃんもこんなんが恋人でいいのかい?」
ハルタさんとサッチさんはニヤニヤしながら悪ノリする。エースくんはとうとう痺れを切らしたのか、お酒の入ったグラスをどーんとテーブルに置いて、「いい加減にしねぇか!」と吠えた。真っ赤な顔で。萌えた。
「そんな顔で言われても説得力ないよぃ」
マルコさんも赤いけどね。
「私は、エースくんがいたから、みなさんとも出会えたので」
エースくんで良いか悪いかじゃあない。エースくんじゃないとだめなのだ。多分、やっぱり、私がモビーディックでこうして白ひげ海賊団のみんなとお酒を飲み交わしていることは必然的な運命で、それは紛れもなくエースくんがいたからこそ辿れた道だと思ってる。
「名前……」
なんか恥ずかしいや。へへっと笑うと、今度はサッチさんがエースくんの胸ぐら掴んで吠えた。
「名前ちゃんのこと、絶対幸せにしてやれよ!!」
「分かってらぁ!」
酔っぱらい。まあもう十分幸せなんだけど。人目もはばからずに私を抱き締める彼が、心底愛おしいから兎も角まだそのことは伝えないでおこう。大人は、タチが悪いのだ。