「トラファルガー先生って本当に魔法使えるんですね~! すごい! 私、魔法使われたの初めてでびっくりしましたけど、じわじわ感動してます」
梅酒のソーダ割りを片手にそう語る女を見て、ローはこの女はバカなのだと思った。
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どちらが悪かったかと聞かれれば、少し悩んでから自分が悪かったと答える気がした。どんな理由があれ、他人を勤務先から二つ隣の駅まで飛ばしてはいけない。それが本人の理解を超えた能力であったとしても、この世界は言い訳を聞いて許してくれるほど甘っちょろくはないのである。
昼間。うっかり魔法を使ってペンギンの口を縫い付けてしまったトラファルガー・ローはその頃から平静を失っていたのかもしれない。逃げるようにその場を後にしたが、運悪くその場面を同僚である看護師に見られてしまった。挙句、彼女の頭が少々弱かったせいで、大声で「魔法使いなんですか?」などと聞かれ、慌てたローは咄嗟に(消えてくれ)と願ってしまったという話。何から何まで非現実的で嫌になる。
しかし、消えてくれと願って、2つ隣の駅で済んだのだから運が良かったのではないか。地球の裏側に飛ばされても不思議ではない。ローは開き直っていた。彼女の輝く目が、ローの罪悪感を刺激しなかったことが理由に挙げられる。
「いつから魔法使いなんです? 生まれつき?」
彼女は何がそんなに楽しいのか、魔法で飛ばされたにも関わらず、全く怒る気配も無く、むしろすごく嬉しそうな顔で病院に帰ってきた。ローが急用を頼んだから、と看護師長に嘘をついていなければどうなっていたことか。そういう不安はないのか。なさそうな女だ。
「魔法使いじゃねえ」
「えっ じゃあ昼間のことはどう説明するつもりで?」
「……なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「魔法使いに会えて嬉しくない人なんています?」
「不気味だろ普通」
そうなんですか!?とあからさまに驚く彼女を見ながら、ローは彼女にバレたことは幸運だったのか不幸だったのか考えてみる。
話した感じ、これでローを脅してやろうとか、そういう悪意のあることは考えていなさそうだし、変に騒ぐなと言えばある程度の信用はできそうである。しかし、仮に見られたのが彼女でなかったとしたら、きっと『魔法使いではない』の一言で誤魔化しきれた気もする。むしろ、なぜこんなに彼女はローが魔法使いであることを盲信しているのか不思議でならない。
「でもトラファルガー先生なので」
「あ?」
「トラファルガー先生は信用のできる方なので、魔法使いと言われても信じます。 私、そういうのに偏見ないですよ!」
「信じるな疑え。 ていうか、まだ一言も魔法が使えるとは言ってねえ」
他人から寄せられる無条件の信頼。気分は悪くないが、居心地はあまり良くない。ローはそういう柄ではないのだ。しかも、魔法使いと言われても信じるなんて、違う意味で願ってもない話である。信じないで欲しかった。自分でもイマイチうまく処理できていないから。
「でも使えるんですよね?」
「………」
黙秘。ローはもはや何も言うことがなくなった。彼女の都合のいい脳みそを前に己はあまりに無力。というか、そもそも女性とこんなに会話したのは母と妹を除けば初めてかもしれない。本人は気づいていないが、トラファルガー・ローは案外拗らせている。まあ、そうでなければ魔法使いにはなっていない。
「ペンギンさんの口をくっつけたり、私を瞬間移動させたり。 あとは何ができるんですか? 時間とか止められます?」
ローは静かに目を閉じる。時よ止まれ。願ってみる。目を開けた。キラキラとした瞳が、一度瞼に隠れる。瞬きをした彼女を見て、時間が止まらなかったことを知る。そうそう使いこなせるものでもないのか、はたまた。
ローはすっかり彼女の調子に乗せられて、何か、らしからぬことをした。時間が止まるはずがない。何が時間とか止められます?だ。できるわけないだろう。
「無理に決まってんだろ」
「そっか。やっぱりあんまり高度なことはできないんですね」
意図せずして力を持った己よりも理解がある。じゃあ何ができるんだと唸りだした彼女に、ローはもう止めようと思った。今回は、理由はどうあれ彼女に多少の迷惑をかけたので、『ご飯に行きましょう!』という彼女の誘いを無下にできなかっただけで、基本人とは馴れ合わない男だ。これから先、彼女と仕事以上の付き合いがあるわけでもない。ここに到着して一番に他言無用のお達しはしたので、もう解散しても問題ない。
「帰る」
「まだ8時半ですよ」
「俺は明日も仕事だ」
ローがジョッキの中身を飲み干し、立ち上がると、ほらよと言わんばかりに伝票がローの手元まで浮き上がる。全く便利なんだか不便なんだか。
ローは派手に舌打ちをし、彼女は「おお!」と感嘆の声を上げる。もう嫌だ。他の人間に見られる前に勢いよく伝票を引っ掴むと、ローは会計へと向かって長い足を伸ばした。
「あの、実は私、見ちゃったんです」
デジャビュ。おいおい嘘だと言ってくれ。
「…何を」
「昨日、その、トラファルガー先生と名前ちゃんが一緒にいるところです!」
「あ?」
「二人は病院で全然喋ってるところなんて見たことないのに、一緒に食事なんて。どういう関係なんですか?」
今日、ローに声をかけた彼女は、言わずもがなローのことが好きであった。高身長、高学歴、高収入。おまけに顔よし、声もよし。欠点を挙げるとすれば性格だが、惚れた弱みで『クールで素敵』に変換されてしまえば、パーフェクトヒューマンの出来上がりである。
しかし、クールで素敵なトラファルガー先生は、シャチとペンギンとしか話さないことで有名なのに、あの冴えない看護師と、退勤後に二人楽しくご飯に行くなんてどういうことか。たまたま見かけた彼女が、驚いて本人に突撃するなんて荒技に出るのも仕方ない。彼女は焦っていた。
「何の話をしていたんです? あんなに楽しそうに」
実際に楽しそうにしていたのは、彼女の方だけだが、この際、そんなことはどうでもよかった。ローは口を閉じる。昨晩二人で食事行ったのは事実であるが、話の内容はほぼ魔法の話で、それ以外の話は記憶にない。しかし、嘘をつこうにも普通の男女が仕事終わりに居酒屋でどのような会話をするのか、経験がないので全く思いつかない。困った。ローはしかし何か言わなくてはいけない。もう一人にバレたと言うこともあってか、ローはクールな顔の下で舌打ちをした。
「彼女とは、―――――だ」
そう告げた時の、相手の顔を見て、これは悪手だったと気づいたが、後の祭りである。