花火大会の夜は、蒸し蒸しとした夏らしい日だった。私は買ったばかりのワンピースを着て、今朝切ったパイナップルをタッパーに詰めてヒロの家へ向かった。夏になると、私の家ではパイナップルがよく出た。私はスイカもメロンも好きじゃなかった。だからもっぱらキウイかパイナップルをよく食べたけれど、私はパイナップルの方が好きだった。
駅まで行くと、ヒロが柱のところで待っていた。鉄道会社の下で彼が待っていて、私を見つけて笑ってくれる。それがまるでCMみたいだと思った。彼はパイナップルが入った紙袋を持ってくれた。私がパインを切って持ってきた話をすると、「名前さんらしいね」と言っていた。花火大会に日にパイナップルを持ち込む私の、”私らしさ”とは一体なんだろう。
ヒロの家は、駅から歩いて20分くらいの場所にあった。いつもロードバイクで通学しているから、駅から遠くても不便ではないらしい。彼の子綺麗なアパートに入り、私はソファの前のラグの上に腰を下ろした。花火大会が始まるまではまだ1時間あった。私たちは夜ご飯にピザを取ることを決めて、それを注文した。流石にその晩は混雑していて、配達まで1時間くらいかかってしまうかもしれないと言われたけれど、私たちは大丈夫ですと言ってピザが来るのを待った。
ピザを待つ間、ヒロがサラダをつくると言ってキッチンに立った。私はそれを後ろから見ていた。彼はテレビを見て待っていてとリモコンを渡してくれたけれど、私はテレビよりもヒロのことを見ていたかった。彼の包丁が小気味いいリズムを奏でる。薄いTシャツ姿になると、彼が思ったよりずっとがっしりとした体つきであるのがよく分かった。私はその頃になってようやく、私は彼を見ることがとても好きだということに気がついていた。彼の大きいけれど繊細な手つきや、笑うと細くなる目元に、気づくと熱い視線を送っている。彼はそのことに気がついて、わざと私を見つめ返して、どうしたのと訊いたりした。それを訊かれると、恥ずかしくなって私はいつもなんでもないよと言ってしまうのだけど。
「どうした? 退屈になった?」
私が立ち上がって、後ろからそっと彼に近づくと、彼は手を止めて振り返ってくれた。彼の手元では、もうすでにカプレーゼとグリーンサラダが完成していた。
「ううん。私もパイナップル出していい?」
「ああ、いいよ。そこに皿あるから使って」
「ありがとう」
冷蔵庫を開けると、そこには食材が整頓されて詰まっていた。部屋の中にはソファとラグとテレビと小さい棚くらいしかないのとは打って変わって、冷蔵庫だけはぎっしりと物が詰まっている。いかにもヒロらしかった。私はそこから持ってきたタッパーを取り出して、彼に言われた棚から透明なガラスのお皿を取って、そこに盛り付ける。彼の隣に立った。いつも私はホールにいて、彼のことは見ているだけだったから並んでいるだけで楽しかった。
美味しそうに濃いイエローになったパイナップルを一つ摘んで、口に入れた。その夏初めてのパイナップルはほんのりとした甘さと、初夏らしい酸味を持っていた。つまみ食いした私を見つけて、ヒロがくすくす笑った。私はお箸で美味しそうなパイナップルを見繕い、彼に食べる?と訊いてみた。彼は、包丁を置いて、キッチンに手をつき、不意にキスをした。彼とキスをしたのは、その日が初めてだった。
「……ちょっとすっぱいね」
ヒロの耳がほんのりと赤くなっているのを見て、私は彼の方に向けていた箸を下げた。胸が壊れそうなほどドキドキと鳴っている。触れるだけのキスで、彼がパイナップルの味まで分かったかは疑わしい。でも確かにそれは酸っぱくて甘い。初恋の味と似ていた。ヒロとの恋は初恋ではなかったけれど、彼とのキスは初恋みたいな味がした。忘れられそうにないと思った。
パイナップルを盛り付け終えて、それをテーブルの上へと運んだ。彼もサラダを作り終えて、それをテーブルに並べる。色味のなかった彼の部屋は一気に華やかになった。網戸の隙間から夏の夜風が部屋に入り込んで、カーテンをふわふわと揺らしていた。私たちはソファを背に並んで座り、箸とフォークを持って、それらを楽しんだ。彼の作ったサラダは美味しかった。感想を述べている間に、ピザ屋がピザを運んできた。部屋の中には一転してジャンキーな匂いが立ち込めた。花火大会開始までは、もう10分を切っていたと思う。
「名前さん、キスしていい?」
ピザをテーブルに置いて、お皿を出したあと、彼はケロリとした顔でそう尋ねた。まるで断られるとは思ってもいないような顔だった。私はほんの少しだけ意地悪な気持ちになって、曖昧に「んー?」と尋ね返したりした。彼とのどんな小さなやりとりも、私は大好きだった。
「ダメなの?」
「いいよ。訊かなくてもいいよ、恥ずかしいからね」
それから私たちはピザが冷めるまでたくさんキスをした。初めは触れるだけ。でも彼は私の言葉を守って、尋ねもせずに舌を絡めたりもした。私は手のやり場に困ってしばらく足の上をうろうろさせていた。男の人とキスをするのは久しぶりで、一瞬で頭の中が一杯一杯になったのだ。ヒロはキスとキスの合間にそのことに気がついて、私の手を掴んで、指を絡めたりもした。お酒を飲んでいたこともあって、互いの体温がひどく暑く感じた。
網戸の向こう側から花火のドンという打ち上げ音。でも、その時の私には花火もピザもサラダもパイナップルもどうでもよくて、ただ彼と触れ合っていたいと思っていた。そのまま私たちは彼のベッドルームに行って、一度だけセックスをした。とっくに花火大会も終わってしまった時間にシャワーを浴びて、彼のTシャツを着てピザを食べた。来年こそは花火を見ようねと、本気なのか冗談なのか分からない約束をして、私たちは肩を寄せ合い眠りについた。